論点を探る 田原文夫氏の観方   2009年3号より

論点を探る

 改めて問われる
   日本の会話能力/情報能力/仕事能力

                  田原文夫

       会話をしたいのか

「人と会話をしたくて、コンピュータの仕事を辞めた」人がいた、と以前に紹介した。
 会話をしたくても出来ないと嘆く人と、会話をしたくない人。人は様々でいいが、情報交換=会話=情報処理という面もあるので、会話嫌いの人が増えては困る。
 会話嫌いの人が増えると、情報社会は成り立たない。コンピュータとしか会話が出来ない人が増えては、人間社会でなくなる。
 昨年の派遣切りで転職できない人の多くは「会話能力の不足」と言われた。多くの派遣切りを出した製造現場では、会話はあまり必要ないが、人材が不足するサービス業では、会話は必須だ。会話能力だけが原因でないにしても、社会問題の一因になっては、放っておけない。
 講演後「質問は」と求められても、あまり質問も出ず、閉会する場合が多いが、質問がないわけではない。
 質問を求められ、黙っていれば、話は理解されたことになる。だが、講演後に、多くの人が講師のもとに「質問がある」といって殺到するらしい。大衆のなかで質問する自信がないのか、恥ずかしがり屋なのか。
 国民性かもしれないが、こんな態度は国際社会で歓迎されるはずもない。オバマ大統領が巧みな演説で大衆の心を掴み、当選したのを目の当たりにしながら、何も感じないでは、人間性の劣化ではないか。
 会話嫌いの人が「引き篭もり」になる。引き篭もりでも、ネットを使えば生活できると言う人がいる。生活はできるだろうが、それは人間の生活だろうか。
 こういう生活のフィードバックは「ノー」である。ここで言うフィードバックとは、人間的な反応のことだ。
 あるディ・トレーダーの日課は、一日のノルマを達成することという。ノルマを達成しても、稼いだカネを使う当てもなく、使う気もない、とレポートされていた。
 本人は満足しているし、そういう生活もいいが、筆者の好き嫌いで言わせてもらえれば、大嫌い。これは、フィードバックのまったくない人生だからだ。建設的でもない。
 人との接触を避け、付き合いを拒絶するのは勝手だが、結果として、それが原因で、秋葉原の事件につながるなら、恐怖である。
 耳を傾けると、他人との接触を避けながら、他方では、他人との接触を望んでいる。この矛盾に耐えられなくなると人を殺す。そういう論理は、どう組み立てられているのだろうか。多分、フィードバックも不可能だろう。

    会話能力は大丈夫か;政治家

 日本の首相だから、外国語に堪能でなくてもいいが、自国語も怪しく、漢字の読みもあやふやでは、信用できなくなる。
 実績があって、後からボロが出れば、ご愛敬だし、笑い話で済むが、実績もなく、言ったことは何もせずで、ボロが続出しては、後から実績が出たとしても、誰も評価しない。
 政治的な約束で、大声は出すが、実現しない。国民が反対することも強行する。オバマ大統領は「皆で、我々が」と言うのに対して、我が首相は「俺が」である。
 他は他で、我は我でいいが、違いすぎる。同感する程度が違う。同じ民主主義国かと思う。生まれた国に不公平を感じる。その「俺」が頼りない。これでは、漢字が読めないに戻り、やっぱり、になる。
 人の評価というものは、そういうもので、庶民の評価が正しいかどうかではない。
 信任はこうして表現されるということだ。だから、我が首相は「何もしない、出来ない人」になった。これでは支持率が上がるはずもない。
 定額給付金を決めた段階と現在では経済状況が急変している。単なる不況対策と、世界同時不況対策では、違って当たり前だ。事態の変化に対応できなければ、政治ではない。
 単なる不況対策は、財政政策で間に合うが、緊急対策には、金融政策が大きなウェイトを持つ。その認識にも欠け、その余地もない現状は、作り出した責任感を感じない。

    情報能力は大丈夫か;金融機関

 世界的金融危機の影響か、日本の金融収縮はひどい。金融機関の収縮と言ってもいい。サブプライムの被害が少ないと政治家は言うが、本当だろうか。
 金融は、おカネが循環して初めて機能するのに、バブル崩壊の後遺症なのか、日本の金融業は、おカネの循環を図らず、滞留させている。
 全員が、責任を取らなくていいよう、防御に入っているようだ。
 金融のダムを作れば、自分は安泰でも、止められた方は倒れる。
 昨年の倒産で際立つのが、上場企業の黒字倒産である。企業が上場しているかどうかは別にして、黒字倒産は、金融の目詰まりが原因だ。今、メインバンクが、どう機能しているのかは知らないが、あるとすれば、メインバンクに取引先を黒字倒産させたという責任感や、危機感はあるのだろうか。
 危ないから融資を止めたといえば、そうだろうが、止めたから危なくなった企業はないのだろうか。
 大企業が市場からの資金直接調達が難しくなり、与信業務に経験のない日銀がCP(Commercial Paper)の買切りに乗り出す。
 その日銀に生ずる危険を避ける法改正が必要だが、何時手を打つのか。
 大企業が資金調達をCP発行から融資に切り替えた結果、18年ぶりに都銀の大企業への貸出残高が増加した(日経、2009,1,10.)。
 中小銀行は、通常の融資は増えないが、信用保証協会が返済を100%保証する緊急保証制度枠を設けたら、枠がすぐ満パイになる。昨今の金融機関は、金融機関の体をなしていない。
 彼らの仕事は、血液であるおカネの循環なのに、全体を考えない。信用保証協会の緊急保証制度は、中小銀行の融資態度に対する不信ではないのか。だが、当事者には何の危機感も感じられない。社会的使命を忘れた金融機関は必要なのだろうか。

  情報能力は大丈夫か;金融機関、その二
                  
 筆者の経験である。マンションの修繕積立金・管理費が引落しになるので、近所の銀行(信用金庫)へ口座を作りに行った。
 本人証明に必要な免許証、印鑑は持参したのに、窓口は胡散臭そうな顔をする。最初に100円を入金しようとすると「足りない」という。
 理由を聞くと「費用がかかる」という。意味が分からない。更に「修繕積立金・管理費の引落しが始まるという証明は」と聞く。「これから始まるので証明出来ない」と答えた。
 口座開設にこんな会話をするとは思わなかった。かつては「ご縁がありますように」と5円(ご縁)を入金した通帳を持ってきて、名前を記入した時代が懐かしかった。
 これが現在の金融機関の現状だ。新規顧客の開拓にも無関心だ。今の金融機関は、すでに社会的使命を忘れるか、失った機関と言えるのではなかろうか。
 この間の事情を監督官庁に通報したどうなるか、どう対応するだろうか、興味はある。
 同類、仲間で是認するか、指導するか。だが、そこまで追求する暇はない。
 仕事に用心深さは必要だが、度が過ぎる用心深さも問題だ。

    情報感度は大丈夫か;マスコミ

 日本人は、というより、マスコミは「不況」が大好きである。
 最近まで「長引く不況」と燥ぎ、神武景気を越えた、戦後最長の景気との発表には、納得するどころか、不満そうだ。
 そこへ「100年に一度の不況」が始まると、待ってましたとばかり、燥ぎだす。
 誰かが、マスコミは「不況と言い過ぎ」と注意すると「事実は伝えなければ」と、また不満顔だ。こういう態度を「自虐」と言う。「不況大好き」とも言う。
 一部の新聞報道も相当だ。毎年、1月15日前後に、前年の企業倒産統計が発表される。理由は不明だが、1997年までは、日本の二大調査会社である帝国データバンク(以後、帝国)と東京商工リサーチ(以後、東商工)が、同一内容を発表していた。外部からは、発表数字の談合をしていたように見える。
 1998年から、発表は別になり、当然ながら、倒産件数、負債金額が微妙に違いだす。
 全部をチェックしたわけではないが、次の記事に遭遇した。
「倒産、最悪12,681件、昨年、負債倍増11兆9113億円」の見出しが踊る。
 納得できないのは「2008年の倒産件数(負債総額1000万円以上)は前年比15.7%増の12,681件で、数値の比較可能な01年以降で最多となった」という部分である。
 一つ目は、見出しの「最悪12,681件」で、引用された数字は、帝国発表だが、東商工の数字では15,646件である。3,000件の差も大きいが、その理由は分からない。
 二つ目は、数値の「比較可能な01年以降」で、筆者の手元にも、1984年以後の数字がある。筆者の手元にある数字が、新聞社にないはずがない。比較可能というレベルでは、何年からかは不明だが、少なくとも01年以降ではない。
 三つ目は、01年以降で「最多となった」という部分だ。比較可能なという数字は、
 2001年  19,441件
 2002年  19,458件
 2003年  16,624件
 2004年  13,800件
 である(帝国)。
 ここからは、昨年の数字は、最多どころか、最少である。
 東商工の数字を見ても、
 2001年  19,161件
 2002年  19,087件
 2003年  16,255件
 2004年  13,678件
 で、帝国とのずれはあっても、少なくとも「最多」ではない。
 こういうことから、筆者は、日本のマスコミは「不況好き」と言う。それだけでなく、これは、誤報でもある。そこまでして「最悪」と言いつのる意味も分からない。
 ちなみに、1985年、プラザ合意で「円高」誘導が決定されたが、その前年の倒産件数は20,841件で、筆者の手元にある数字では史上最高だった。プラザ合意後の倒産件数は、
 1986年  17,476件
 1987年  12,655件
 1989年  10,122件
 1990年   7,234件
 1991年   6,468件
 と推移し、数字の上では、円高不況どころか、円高好況である。
 もちろん、円高による倒産が危惧され、対策として、金融が緩和された。対策が効を奏したということだが、数字だけを見る限り、円高好況としか見えない。
 企業倒産件数は、景気指標の一つである。だが、円高が好況をもたらしたと言って納得するマスコミは、多分一社もないだろう。それほど「日本は好況が嫌い」なのだ。
 1991年は、倒産件数が、1984年以後、最少になった年だ。そのまま読めば、好況で「倒産が減った」だが、あのバブル期でさえ、これだけ倒産したと見ることもできる。
 どちらの見方が正しいかではない。だが、筆者は、バブル期(好況期)でさえ倒産する企業があるということに興味がある。
 不況期に倒産は止むを得ないにしても、バブル期に倒産するという企業とは、どういうことなのかということだ。
「昨年、負債倍増11兆9113億円」は、間違いではないが、それも「最悪」の根拠にしているようにしか見えない。記事中、正しいのは「上場企業倒産34件で、戦後最多を更新」だけだ(読売、2009,1,14.)。
 こういう報道の仕方はいかがなものだろうか。
「オバマ大統領の給料は麻生首相より安い」と新聞が書いた、というのをテレビで見た。
 だから新聞名も不明だが、大統領が約40万ドルで首相が約4千万円。「1ドル90円」の為替で、大統領の給料は首相より安いと言うなら、1ドル110円ならどう言うつもりなのか。マスコミは酷いし、醜い。
 何が言いたいのかも分からないし、こんな比較に何の意味があるのか、何を言いたいのかも分からない。

     情報能力は大丈夫か;出版社

 雑誌の年間講読を申込んだ。配達は発売日当日と期待していた。
 ところが、実際の配本は、店頭に並ぶ数日後。年間講読のスタートは、通常と違うのかとも考えた。出版社に電話すると「今日ポスティングする」と返ってきた。発売日は過ぎていた。
「最初の配本は、発売日より数日遅れる」とのメッセージは、最初の配本に挟まれていた。
 多分、事務の合理化なのだろう。これでは、顧客のことは何も考えていない合理化だ。言葉ではともかく、行動がそれを示す。
 最初の配本遅れを、予約を受けた時点ですれば済むことを、最初の配本時に行なう。合理化目的は分かるが、顧客との関係の合理化は、いかがなものか。事務の合理化が、顧客の不信を買うようでは、何のための合理化か。
 ある日「マンションの賃貸経営もアウトソーシング時代です」と書いたチラシを見た。但書きには「煩わしいことはお任せください」とある。
 これは「私は働かない、働くのはあなた」という思いの反映だろろうか。内容は、出版社の合理化と少しも違わない。
 出版社は、情報産業の代表業種である。その会社に、情報についての意識が薄い、それどころか意識がない。
 情報には、コミュニケーションも大切だ。このやり方は、それにも欠けている。情報に大切なのは「必要な時に、必要な事を、必要な人に」だが、このやり方は「(何でも、何時でも)やりさえすればいいだろう」だ。

 仕事能力は大丈夫か;マンション管理会社

 マンション管理会社は、国交省管轄の規制業種(保護業種)ではないか。例によって、こういう業種は、無能である。
 だが、殆どの人は、実態を知らず、無能会社を頼りにしている。規制業種とは、法令を守るのが仕事で、顧客は二の次と決まっている。
 彼らには「重要事項説明」という行事がある。バカバカしい内容だが、国交省から「毎年朗読」を義務付けられている。義務として朗読会を開いている。
 マンションを購入時に、一回だけ聞かされた人は多かろう。だが理解した人も少ない。筆者はこれを「お経」という。「一度聞いても何も分からない」からだ。
 この朗読の名目は顧客保護だが、実態は業者の免罪符だ。一度では理解できない内容で主張するのは変だろう。保護しすぎるから、業務態度が不真面目だ。
 例えば「会計」業務の知識がない。ある会社は「マンションが借金するのは想定外」とまで言った。この会社の経理に「借金」「借入」の項目がないのか、と唖然とする。
 ある会社は「部門会計」「管理会計」の意味が理解できていない。
 そういう彼らも、自社の合理化には熱心だ。だから、会計は個々のマンションの事情に合わせるのではなく、その会社の会計システムに合わせろになる。
 それでも、大方のマンションで問題が起こらないのは、経理が割合潤沢だからだ。
 何しろ、借金と借金した事実の区別が出来ないのだ。借金したおカネを使い果すと借金した事実まで消えてしまうというお粗末さ。おカネを貸した人は、色を失っていた。
 こんな状態だから、ときどき使い込みが発生する。やくざと見紛う発言もあった。警官もどきの言動も見た。自分を守るだけでなく、顧客を脅迫する。
 彼らの手段は狡猾で、悪辣である。これは、官・産共同の見本でもある。天下りの有力候補にもなっている。
 多くのマンション管理組合は、こういう会社に管理を委託し、世間は、マンションの管理は管理会社がしていると理解している。
 少なくとも、管理会社はアウトソーシング先だという理解があれば、内容、限度は分かりそうだが、世間は、その理解もない。
 多くのマンション住民は、管理は厄介な仕事で、出来るだけしたくないというのが一般的だが、実は、それが大間違い。マンション管理業者は、その錯覚を利用している。
 何かに似ていると思い出したのが、日本の防衛だ。自分の財産を、自分で守る気がないのは、自分の国を、自分で守る気がないのと同じである。
「管理会社の仕事は、こんなもの」と言った人がいる。マンション管理の経験者だ。だから「大した仕事は出来ないし、しない」とも言った。
 管理会社は「管理という業務」をしているだけ、である。「管理をしている振りをしている」と言ってもいい。その証拠は、厄介な出来事が発生したときに現われる。
 平時は、何事も何もしなくてもいいが、仕事ぶりは非常時に現われるのは、この仕事に限らない。
 管理体制も、無事が前提だから、資金不足になり、借金という事態になると、その意味も分からぬという醜態を示す。こんな会社に、自分の財産管理を任すという神経の異常さが理解できなくては、何を言ってもムダになる。
 アウトソーシングにはこういう危険がある。アウトソーシングのイロハは、まず自分がするが、いろいろな事情で出来ない部分を外部に頼むので、やる気のない、やりたくないことを外注するのではない。
 もし、そういう態度を続けるのなら、お好きにどうぞと言っているのと同じで、どうされようと文句も言えない、ということになる。

  システムに対する誤解/主役の交代

 システムの基本は、人間組織そのものである。部屋があり、机が配置され。その部屋も机も、ときどき配列替えされる。それがシステムだ。
 固定机の廃止もシステムだ。このシステムで、どういう成果が得られるのか、それがフィードバックであり、ついで、反省、改良、発展と続く。そうでなければ、そのシステムは無用の長物になり、将来の展望も、発展も描けないだけでなく、廃止の対象となって当然だ。
 今は、公害=地球温暖化が主役だが、30〜40年前までは、地球は寒冷化が大問題だったという事実を忘れている。
 公害が大きく言われだしたのは、自然保護が主題だった。公害の元凶として、自動車が槍玉に上がった。その自動車が、実は、公害を解消してくれる決め玉と言われた時代もあった。当時の公害の対象は、馬車、牛車である。馬糞、牛糞が公害原因なのである。
 時代が進むと、フロンガスが目の敵になる。フロンガスが南極のオゾン層を破壊する、と散々言われた。
 ところが、それは濡れ衣と判明する。元凶は、南極の温度低下だった。
 ダイオキシンもそうで、一時の騒ぎは何処へ行ったのか。ダイオキシン公害を出さないために、最新式の高熱焼却機が必要と各地に焼却炉が建設され、個人の焚火まで禁止された。
 ところで、最新式の高熱焼却機は、製鉄所の高炉と同じで、火を入れたり、消したりは頻繁に行なえない。そんなことをすれば、効率は悪いし、高熱になるまで、かえって有害物がでる。防ぐためには、いつも焼却物が必要になる、というおかしな問題が出る。
 こうして、高性能焼却機のメーカーは儲かり、施設を運営する部署は天下り先になり、税金が浪費され、無駄な費用が発生する。
 何かを言いたて、危機を創造し、恐怖心を煽り、それに便乗し、金儲けしようという輩が必ずいる。こうなると、何が本当なのか、何を信じたらいいのか、素人には判別しかねる。
 地球温暖化も似たようなもので、温暖化の元凶が二酸化炭素なら、いっそのこと、地上にある二酸化炭素の発生源を全部消費したら、どれだけの二酸化炭素が出て、どういう影響を与えるのか、スパコンでも使ってシミュレーションしたらいい。
 それ以上の二酸化炭素が出ないことを確認すれば、有効な対策を立てられるだろう。
 こう言うと、誰も答えない。答えられないのか、答えたくないのか、知られたら困るのか、何かある、と素人は疑いたくなる。
 地球の歴史を見ると、温暖な時期に巨大生物が発生し、寒冷化とともに絶滅している。こういうことを知りながら、温暖化を危機と騒ぐのはどうなのか。
 誰も疑問も持たず、政府が、率先して、温暖化対策に熱中する。うっかり、温暖化など大したことないと言える雰囲気ではない。
 言えば、変な目で見られだけだ。だからそれ以上は言わない。

      ツバル水没の原因は

 ツバルが水没すると大騒ぎだ。地球温暖化が原因と言われるが、本当はどうなのか。
 温暖化の原因が二酸化炭素で、二酸化炭素を減らさない限り、温暖化は止まらないなら、有効な対策は暫らくはない。
 ツバルの事情を仔細に調べると、ツバルは「珊瑚礁の上」にあるが、その珊瑚礁が劣化しているのだ。ツバルが水没と言われると、土地が冠水と思いがちだが、地面から噴水している場面を見た。地面である珊瑚礁の劣化である。
 それだけでなく、ゴミ問題も深刻だ。ツバルには、ゴミ処理施設がない。処理場を建設しようにも場所がない。無理に建設すれば地盤沈下が加速する。処理できないゴミを輸出することは、国際条約で禁止されている。
 こうしてツバルは、二重、三重に、人間の住めない島になっているし、している。
 こういう状態を二酸化炭素削減だけで解決できるのか。それより、ツバルで何時まで人間が生活出来るのか、それを見極めることが現実的だ。
 人間生活に耐えない場所なら、生活できる場所を探すほうがいい。そのためか、オーストラリアへ計画的に住民を移住させている。
 だが、この部分は大きな話題にもならない。何か、何処か狂っていないか。
 自然現象のすべてを、人類は解明し、解決方法を持っているのだろうか。
 大きな原因と喧伝されたものが、数年後、あるいは数ヵ月後に、否定されることさえある。あのノーベル賞でさえ、相互に矛盾する研究が受賞した例があるようだ。
 地球温暖化に人間行動が無関係ではないにしても、温暖化を押さえ、寒冷化に向かわせるほどの力があるとは思えない。
 温暖化が悪いと言うのは、寒冷化がいいということなのだろうか。
 寒冷化したら、寒冷化を騒ぐのか。それとも中庸を実現できるとでもいうのだろうか。

      人間能力の限界

 不況が続くと何時までも続くように思う。好況が続くと何時までも続くように思う。
 逆の予想は難しいが、逆の事態は必ず来る。循環である。すべての事態は循環する。
 筆者は、日本人は「枕詞」が好きだと言う。それも、マイナス、つまり「長引く不況」などはよく使われた。
「長引く不況」に代わる人気の「枕詞」は見つからないし、見付けても「好況」は人気がない。そこへ「百年に一度の大不況」が出現する。人は、待ってましたとばかり飛び付いた。
 日本のマスコミは、騒ぎになる情報が大好きだ。多少のウソも、大目に見てしまう。
「不況を言いすぎると、本当の不況になる」とたしなめられると、膨れっ面で「事実を伝えなければならない」と言う。
「長引く不況」時代、対策として、インフレ・ターゲット論が盛んだった。多少インフレにしないと、経済がおかしくなるという論理だ。
 経済がおかしくなるというより、多少のインフレは、経済運営がやりやすい、ということだ。
 だが、議論をしただけで、誰もそれを実行しようとしなかったし、実現できなかった。
 そして、原油価格の高騰で、待望したインフレが来た。
 すると、今度はインフレになる、と大騒ぎする。
 原油がバレル147ドルを越えると、年内に200ドルになる、との予想が大半だった。
 今度は、バレル32ドル台まで下がる。すると、予想は、年内に30ドルを切る、となる。
 手遅れ医者は名医でもある。手遅れと診断し、治癒すれば名医だし、ダメでも、診断通りということで、名医である。
 逆方向の予想はしにくい。分かっていても、言いにくい。目先の状況だけでなく、大衆の目も気にして、延長線上の予想しか言わない。
 デフレ期にはインフレを望み、インフレ期には大変と言う。
 こういう発言、予想は、評論家にとって、安全なのである。
 多くの高齢者にとって、暖冬は大歓迎である。地球温暖化と暖冬の関係は知らない。地球の温暖化を心配する一方で、生活しやすい暖冬を有り難がっているのも事実だ。
 経済活動という、まさに人為的な行動さえコントロールできない人間が、地球環境をコントロール出来ると思うのは過信だろう。
 心配し、対策を練るのはいいが、思い上るのはいかがなものか。
 人間は、人間の限界を知るべきなのだ。              (HumioTAHARA)


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