はじめの言葉   2009年3月号より

                  はじめの言葉

■我が国のコンピュータ産業界の一翼どころか、中核をなす電機業界各社が、まるで赤字決算高競争をしているように、我も我もと下方修正発表を繰り返している。しかも、非正規社員の人員整理だけでなく、正規社員もその対象に削減するという発表まで出て来た。これも競争状態である。確かに金融危機による様々な余波を受け、顧客企業に投資予算の凍結ムードが漂っているようだ。
■かといって、金融危機が表面化して半年もしないうちに、かくも赤字決算が目白押し状態になるような事情が急発生するなど常識では到底考えられない。一体この半期の間、各企業に一体何が起きたというのだろうか。むしろ、この半期の間の営業赤字だけではなく、隠されていた「含み赤字」の表出し操作でもしているのではないかと疑いたくなるほどだ。それとも、春闘を控えて労働側に向けた牽制球なのだろうか。
■アメリカ式の金融工学に引っ張られた結果、金融業界だけでなく、財テク行為に傾注していた多くの実業企業が、本業の実業実績ではとてもカバーし切れない欠損を出してしまったということか。実際、多くの企業が「情報公開(ディスクロージャ)」をポリシーのひとつとして宣言している割に、たび重なる各社の赤字計上予測発表では、肝心な部分は不透明なことが多かったということか。大いに気になるところだ。
■いまだに、企業の経営トップの頭は「企業は株主のもの」という、いわゆる「もの言う株主」の論理から抜け出していないのだろう。この間の赤字発表ラッシュを見ていると、いかなる大赤字を出しても「今なら株主から文句を言われない」といった経営者の本音が聞こえてくるようだ。過度な株主重視の考え方が、本業よりも金融商品市場での財テク行動に走らせていた要因であるのも確かだろう。
■しかし「企業は従業員のもの」という考え方も間違っているのではないか。そう思わせるのが、同じ労働現場に、正規社員、非正規社員というあまりにも鮮烈な労働者差別階級制度を産み出してしまったことである。しかも、労働者の権利を守ることを第一義としている労働組合が、実はこの差別階級制度を受容し、かつ堅持する側になっていることがさらに衝撃的である。
■正規社員か非正規社員かの問題は、組合員か非組合員かの問題とは本質的に異なる。端から労働組合は「埒外」だとしているようだ。しかし、正規社員だろうが非正規社員だろうが、業務に従事するものを従業員だとするならば、そして「企業は従業員のもの」だというならば、正規社員も非正規社員も平等でなくてはならない。その意味で、今の労働組合は「企業は従業員のもの」であることを否定するメッセージを発しているように見える。
■「企業は誰のものか」を考える以前に、いかなる企業も、その本業を顧客に支えられ生かされていることを忘れるべきでない。特に、ここ10年余のコンピュータ産業界は、自らの顧客ユーザーの存在を軽視し過ぎてきたように思えてならない。その最たるものが、営業業務のアウトソーシング化である。某ベンダーの新社長が「お客様第一」と言ったが、敢えてそう言わざるを得ない現実がある。(藤見)

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